もはや自分の中では悪癖になってしまっている。
俺がサッカーを見始めたのはトルシエが監督になって
からなので、にわかといえばにわかなのだが、それでも
もう5年も6年も、たっているのだ。
それで今日の試合。
相手に2点目を取られて、試合時間ももうあまりない。
こういう局面でどうやって攻めたら追いつけるのだろう。
そこにセオリーがないのだろうか。
もう何度も何度も同じような状況にさらされ続け、
解説者は間違いなく、プレスを厳しくかけ、ロングボールで
放り込み、泥臭く得点せよ、という。
しかし、これまた間違いなくチームはそれと正反対のことを
する。プレスを弱め、じっくりDFラインで時間を稼ぎ、
自身の陣形を整えた上で(当然相手の陣形も整っているわけだ)
パスの出しどころを探し、落ち着き払って放たれたパスは
相手にスティールされることになる。
あるいは序盤の戦い方だ。序盤の戦い方はとにかく相手の
出方をうかがうことから始まる。相手が攻めてこなければ
こちらも攻めない。相手が攻めてくればこちらもがんばって
攻める。そこに策はなく、それが日本のサッカーだとも言える。
「序盤はこちらは省エネサッカーに徹していても日本は
そこにつけこんで攻めてきたりはしないので、のんびりやって
後半の立ち上がりでスピードアップして点をとろう。
点が取れたらまたのんびり守ろう」ブラジルをはじめとした
攻撃が好きなチームでなければ、日本への戦い方は上記で
間違いなくOKだ。にわかサッカーファンにでも明確にそれは
わかるくらいにシンプルなロジックだ。
5年も6年も、常に解説者はそれを批評してきたが
現場で監督や選手がこなしてきたのは、「平常時に」
人とボールが走るサッカーであり、「芝が日本人の好みの
長さに整備されていて」「前半15分から40分までの間」で
あり、かつ「カップやメダルのかかっていない親善試合」の
時にのみエレガントでエキサイティングなサッカーが
展開される、そのエレガントさに磨きをかけることである。
もしくは選手が個人的に洗練させたいと思うテーマは
これに加えて「セットプレー時にどれだけ難しいテクニックを
用いてゴールするか」ということであり、ただしこれには
現実にゴールに結びつくか否かということは問われない。
テクニックが難しければ難しいほどよく、観戦する側に
してもそれでいいという思いがある。
どれだけJリーグの試合数が多くなろうとも、どれだけ
外国リーグにチャレンジする選手が増えようとも、日本の
サッカーとはそういうものであるので、海外で活躍している
選手であっても日本に合流するとそのようなプレースタイルに
沿うようにアジャストされる。そこは日本人の器用さが
存分に発揮されるところだ。
オシム氏は割りと最近の談話で「日本は日本のサッカーが
できれば負けない」というようなことを言ったと報道されているが
数年前のようにオシム語録を逐一読み解こうとするような殊勝な
解説者は今はいない。オシムは日本にとって過去の人だから
である。ここで恥を忍んで考察してみると、ここでいう「日本の
サッカー」とは前述の「平常時」のサッカーのことだ。
平常時のサッカーを90分続けることができれば日本のサッカーは
負けない。少なくとも自身で監督をしていたころは、選手は
それを志向していたはずなのだが、変わった途端、それが
できなくなってしまった。結局のところ、日本人はそれが日本の
サッカーであることを認識できたのではなく、サッカーのやり方の
(他にもある中での)ひとつのセオリーだというくらいにしか
捉えてはもらえなかったのだ、嘆かわしい限りだ、という
嘆き節なのだ。
ということで、男子の日本のサッカーはこれから深く深く
低迷の時代に沈んでいくことだろうが、希望はなでしこだ。
今のなでしこは、リーグにもほとんど外国人選手が存在せず
そのことのデメリットもたくさんあるだろうが、メリットが
うまくはまっている。
明日の3位決定戦もぜひいい試合を見せてほしい。
