かわぶち氏問題そのものではないのはこれまでの
とおり。
KET SEE BLOGというところでデモ批判への批判を
熟読してみるに、おそらくこういうことなんだろう。
・とにかくかわぶち氏は不適任なのだ。
・それ以外の他意はない。(「かわぶち氏にレッドカード」という
まさに字義通りで選手にレッドカードを出すがチームを
否定するものではない)
・そこにデモがあるから参加するのだ。
100%字義通り。
私のような常に深読みをすることをモットーにする人間に
とっては、たとえば「ジーコを選んできたかわぶち氏に反対する」
などという言説を読んだ場合は当然のごとく、「じゃあだれなら
よかったんだ?」とか「かわぶちでなくともあの局面だったら
ジーコを呼ぶだろう」とかいうよりワイドな視点で事象を捉えよう
とする。が、デモに行こうとしている人たちはそうじゃなくて
純粋にかわぶち氏がやった行為に反対するのであって、協会が
ワンマンな雰囲気でなくきちんとした手順をとってジーコを
呼んできてあとはまったく同じように4年間失敗(と私以外が
信じている)な結果で終わったとしたらデモには参加しない。
ということ。
そう認識した。これだったらデモに参加する人の気持ちは
理解できる。(個人的には相変わらずかわぶち氏には反対も
賛成もないので同調はできないのだが)
また、掲示板をとおしてケット・シー氏自身に質問をぶつけて
みたところ、今回たまたまデモという形で反対表明する行動が
あるので参加するだけだとのことで、これが「かわぶち氏反対
大声コンテスト」だったり「かわぶち氏反対フットサル大会」
であったとしても当然それは参加する、とのこと。
同掲示板のこちらからの質問の中に「いいたいことはデモと
いう行為がかっこ悪いものであり、予定調和的だからいやなのだ」
と書いたところ、ケット・シー氏からはこの「かっこ悪い」と
いう単語のみに反応されてしまって、「予定調和的」という
単語を落とされてしまったのだが、かっこ悪いという単語に
こめた意味というのは、「このTシャツかっこ悪い」という時の
かっこ悪いということではなく、「サッカーコラム トータル
フットボール(http://llabtoof.blog38.fc2.com/blog-entry-293.html)」
で述べられているような、「聖地をプラカードや拡声器で
汚さないでほしい」というような言説に近い。部外者の人たちに
「ああ、あの人たちは勇気ある行動をしたね」という思いを
持ってもらえるような適切な行動がデモというものには感じない、
という意味でかっこ悪い、ということ。
「深読み派」の人たちにとっては、むしろ、間違った意味に
とられるリスクを犯すことを承知で「おれはかわぶちが嫌いなんだ。
なんなんだ、あいつは!はっきり言ってむかつくんで引きづり
おろすことを目的としたデモを決行する」とか言い切ってしまった
方が真意を伝えられたのではないかと思う。変にW杯の総括が
どうのとか協会の体質がどうのとかいってしまうから、じゃあ
対案だ、ビジョンだ、という話になってしまう。デモという
行動も至極まっとうだ。

俺「なぜ公開できないのか。よほど隠したい事があるのだろう。政府見解と異なることを
押しつけているのは問題だ。これで「日本」と名乗っていても良いのか。誠に残念だ。」
サ「貴方にそんな事を言われる覚えは無い。」
俺「スポーツの世界に政治を持ち込む、一番やってはならない事。誠に残念だ。国を売る
ようなものだ。」
サ「貴方に言われる事ではない。」